読書語り#9 『教師の本分』
「生徒と我が子の入学式、どっちが大事か?」というサブタイトルのついたこの本。
尾木直樹さんが書いた本なのですが、ブログ炎上の件から「教育の商品化」や「教師の存在」についてアプローチした本となっております。
「教育の商品化」ということでモンスターペアレントについて挙げられていました。モンスターペアレントに関する話は教育の授業でやったのですが、必ずしもモンスターペアレントとよばれる親御さんが悪いという話ではないんですよね。「○○してほしい」という願望を持っている親御さんがある種の救いの手として学校にお願いをする。ここは問題ないのですが、この提案が異常なほど過剰になったものが問題視されているわけです。
本来は家で教えるべきものを教師にすべて任せる。わが子を思うがゆえに教師に無茶な提案を持ちかける。こういった行為がモンスターペアレントという言葉が作られるほどに以前台頭していたわけです。主な原因としては多忙化により親が子供に向き合うことが以前より少なくなっていることが挙げられるそうです。すべて教師に丸投げされても困りますという感じですが、軽くあしらうように対応すればクレームが来て面倒な事態になりかねないというジレンマが問題なのだろうと思いますね。
この本では学校の教師がどうあるべきかという話が述べられていました。
塾産業が拡大するにつれ、教師と塾講師の差異が今一度吟味される必要がありそうです。教師というのは学校の先生のことで、塾講師を教師とよぶことは少ないですよね。つまり教師にしかできない仕事があるはずなんです。それを我々は無意識に理解しているようです。
教師とは人格を育てる人のことなんです。そこが塾講師との決定的な違いです。
極端な話、塾講師は大学に受からせることが目標です。人格形成なんてお金儲けにならないですから、あくまでも努力すべきというだけで義務というわけではないです。
それに対して学校という場は、将来生徒たちが社会で多様な人とうまく働いていけるように、社会の理想とする価値観とは何か、どうすれば社会で生きていけるのか、そういったことを学校という狭い共同体内で学ぶ場なんですよ。
受験指導だけが学校の先生の仕事ではないって思います。受験合格は自分の進みたい道に生徒が進めるための準備の段階です。その先で生徒たちが活躍できるように、うまく生きていけるように、誰かを助けられる人になるように、いろんな考え方を教えていくのが教師のあるべき姿だと思います。
そんな教師になれるようにこれからも日々、勉強し続けます。
それでは、また明日!!