まだ名もないキモチ

文学部の大学生が書いていくブログです。興味あることや大学での勉強のこと、将来に向けて等内容は様々です。神戸大学生に向けての記事も書く予定です。

読書語り#6 『学校が学習塾にのみこまれる日』

今回の本は2006年に出版されてるので今から15年前くらいの話です。

 

この辺から塾産業がかなり盛んにおこなわれてたようで、学校の勉強についていけない生徒を救う場所から、優秀な人のために勉強を教える機関というイメージが定着し始めたころだそうです。

 

学校と塾の違いってなんだろって考えると

学校:基礎基本を教える場所⇔塾:入試に勝てる勉強を教える場所

   生徒の個人個人の生き方を尊重⇔とりあえず目標は受験合格

 

って感じなんですかね(あくまで個人の考え方ですが)

 

 学校は、生徒が「自分で考え行動する力」を身に着ける場所だって考えます。塾はあくまで勉強の解き方を教える場所です。でもこれだけが「学力」ってことではないんじゃないかなって思います。確かに学力が高い人は要領がよいことが多いです。仕事もできる人が多いと思います。しかしそういう人は微分積分がめちゃくちゃできるとか、物理の問題がめちゃくちゃ得意だとか、日本史や世界史をよく理解しているから、仕事ができるわけないじゃないですか。

 そういう人は試験で使える学力を身に着けたと同時に、生きるための「学力」を身に着けたんだと思います。生きるための学力ってなんじゃそれって感じなので僕なりにまとめると

➀論理的思考力

(筋道立てて物事を考える力、主に現代文や数学によって獲得)

➁表現力

(語彙力も含め、相手に伝えるときに用いられる力、主に現代文や社会や理科の論述問題によってみられる力、数学の証明

現代社会の仕組み、国際問題のルーツと現状、文化の根差す場所など、過去を今に活かすという考えのもとで使われる知恵、主に歴史や地理などの社会科の科目、古文や理科によって獲得)

 

こんな感じかなって思います。要するに学修する学問の裏にある本質的な部分です。自頭がいい人って勉強する段階でこういう風なことに気づいていき、実際の入試問題を見た際に問われてる力をあらかた理解できてるんですよね。僕は大学入ってから気づきましたけどね。

 

こういうのを教えるのが、学校の役目だと僕は思いますね。「こんな勉強何の役に立つの?」っていうのは至極真っ当な意見なんです。でも大人は「学歴は人生の役に立つ」と少し論点をずらして答えるんですよね。学歴は役に立ちますけど、上記の力を獲得しているか否かで生きやすさは格段に変わると思います。学校は基礎基本を教える傍らでこういうことを教えられると素敵ですよね。

 

自分もまだまだ表現力が足りないので、しっかり本を読んで知識を蓄えて、表現力高めていきます。そして将来は授業でこういう力について話せたらいいなって思います。

 

それでは、また明日!!